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​カイロプラクティックの祖「B.Jパーマー」

B.J パーマー

B.J  Palmer (Bartlet Joshua Palmer)

- カイロプラクティックの発展者 -

1882年9月14日 - 1961年5月27日 享年78歳

1904年にBJパーマーはメイベル・ヒースと結婚し、

共にパーマーカレッジでカイロプラクターとして働きました。

 

メイベルは解剖学を教え、BJは上部頸椎が健康の鍵だと確信し、

カリキュラムに反映させました。

 

彼はニューロカロメーターやX線装置の使用を推進し、

1922年にはラジオ局WOCを買収して

カイロプラクティックの宣伝を行いました。

 

1961年にBJが亡くなった後、

息子デイビッドがカレッジの学長に就任しました。

- カイロプラクティックの誕生 -

1885年にアメリカ・アイオワ州ダベンポートにおいて、

D.D.パーマーが雑役夫のハービー・リラードの頚椎を手で押し込んだところ

それまで17年間聞こえなかった彼の耳が突然聞こえるようになりました。

この事がきっかけでカイロプラクティックが生まれました。

 

ギリシャ語でカイロ(CHIRO)は「手」、プラクティコス(PRACTICOS)は「技術」の事を言います。

これらを組み合わせた言葉がカイロプラクティックの語源です。

 

「カイロプラクティック」は当時、D.D.パーマーの友人であったサムエル・ウィード牧師によって、1896年1月14日に命名されました。

D.D.パーマーの死後、息子であるB.Jパーマーが後を引き継ぎました。

D.D パーマー

D.D.パーマー

B.J palmerの生い立ち

B.J パーマー

1882年9月14日

アイオワ州ワットチアーで、カイロプラクティックの創始者

D.Dパーマーの息子として生まれた。DDが経営する食料品店の裏に住んでおり、1885年DDの妻が病気で亡くなったが、

その後DDは何度か再婚した。

DDは新しい妻と落ち着いた後、家族をアイオワ州レッツに移し、

教師や磁気治療師として働き、カイロプラクティックを開発。

1904年5月30日

1949 年~

1961年5月27日

メイベル ヒースと結婚。2 人ともパーマーカレッジでカイロプラクターおよびインストラクターとして働いていた。

メイベル.ヒース.パーマーは多くの生徒を抱え、主に解剖学の

授業を担当していました。B.Jパーマーはカイロプラクティックのパーマースクールを引き継ぎ、1950年代まで学校を率いた。

客観的科学データ収集のために長い歳月を費やし、

サブラクセーションのほとんどは 頚椎1・2番に在る事を発見。

メイベル・ヒースは1949年に脳卒中の合併症で亡くなりました。

1951年にB.Jはフロリダ州サラソタに家を購入し1961年

腸癌で亡くなるまで、そこで晩年を過ごした。

彼の息子が父親の死後、

パーマー・カイロプラクティック学校の学長に就任。

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